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14.トランクの女の子

トランクのなかには、音楽が入っているんですって。 とても愉快で、きれいな音楽が入っているんですって。 トランクの鍵をあければ、我慢できずにピアノがもれでて、 細い隙間から、フルートもこぼれでる。ぱかっと開ければ、 ドラムとシンバルが飛び出して、踊らずにいられなくなる。 びっくりが落ち着いたころ、 耳をくすぐるような謡声が聞こえてきて、 日本語のようで、中国語のような、 英語みたいだけど、フランス語のような、 もうそんなのどうだって良くなるような、 それはやわらかな歌声で、 だれでもみんな泣きたくなるんですって。 夕食も寝るところも明日の朝のパンだって、 全て全て整えたのに、 女の子はいつまでもトランクをおろしてくれません。 ずっとここに居てもいいのにさ、 と言ったのにトランクを開けてくれません。 歌うのをもう何年もしていない私に、 歌わないと開けないわ、と言ってききません。 聞きたかったら歌ってよ、とききません。 にらみあいは続きます。お互い頑固で日が暮れます。 新聞と、雑誌と、ミカンの入った竹かごと、 テレビのリモコン、微笑む母の写真立て。 つもる埃を乗せたまま、ピアノは居間で待っています。 ドの音で、お腹の音が鳴りまして、トランクの女の子はもう不機嫌です。夕食もいらないの、と意地をはって困らせます。 新聞と、雑誌と、ミカンの入った竹かごと、 テレビのリモコン、微笑む母の写真たて。 ぞうきんをしぼるこの指と、ため息ばかりのこの口が、 音を鳴らして歌うのを、女の子は待っています。 おとなって手がかかるわね、と不機嫌に、 女の子は待っててくれています。 作 たみお

Short Story
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