top of page

11.けむり

その先生を捕まえようと、街のいたるところで、眼光するどき生徒諸君がうろついています。

ある女学生は、駅前の喫茶店の窓際にすわりこみ、珈琲一杯で半日も粘ったり、ある男子学生なんかは、探偵よろしく電信柱の影に張り込み、さらに別の学生は、ペットのチワワに警察犬のまねをさせました。 その先生の授業は格別人気で、教室は立ち見が出る程です。講義の中身はと言いますと、「愛のなんたるか」や「恋のなかば」ばかりでなく「毒とはいかに」や「死たるもの」「涙こそ」など、そのどれもが興味深く、またどの講義においても、若い生徒達を興奮させるものばかりでした。 鳴り止まぬ拍手を大きな手で制し、空気が静まるのを待って、先生はおっしゃいます。「では諸君、」その声は、静かで深く、すこしかすれています。「また会いましょう」 そう言って、すっと立ち上がり、教室の扉を去っていくのです。ハッと我にかえった生徒が、教室の外へと追いかけていきますが、どこにも姿はありません。学校のどこを探しても、まったく姿が見えぬのです。そればかりか、同僚である他の教授先生も、謎だ、謎だ、と行方を知らず、そういえば名前はなんというのか、それさえも、みな知らないのでした。 軒先で、手紙の束を燃やす女がいました。女は、こないだ死んだ母の恋文を燃やしているのでした。母の娘時代のものでした。 またその家のずっと遠くの焼却炉では、緑色の大きなソファが燃えています。スプリングが壊れた、ふたりがけのソファです。長くロビーで使われたものでした。 その土地のうらっかわでは、晴れの日の野っぱらで死体が燃えています。太い指に誰かと交わした、銀色の指輪が光っています。 遠くで国旗が燃えています。いまもまた、どこかで何かが燃えています。 月曜日、生徒達が眠い頭をゆらゆらさせながら、教室のドアをくぐります。「あ、先生だ!」と誰かが叫びました。みると、真っ黒の黒板の前に、あの先生が立っています。いつものように、教室にかすかに苦い匂いが広がります。生徒たちが慌てて他の生徒を呼びに走ります。 教室をうめつくす若き生徒諸君の目は、きらきらと輝いています。先生は満足そうに微笑んで、「さあ授業をはじめましょう」と話し始めるのでした。 作 たみお

Short Story
bottom of page